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札幌地方裁判所 昭和48年(ワ)786号 判決 1978年9月29日

原告

甲野太郎

甲野花子

甲野一郎

甲野咲子

右原告甲野一郎、甲野咲子法定代理人親権者父

甲野太郎

甲野花子

右原告ら四名訴訟代理人

高野国雄

外二名

被告

比田勝孝昭

右訴訟代理人

山根喬

外二名

右訴訟復代理人

太田三夫

被告

竹田保

右訴訟代理人

斎藤忠雄

金子利治

右訴訟復代理人

飯野昌男

川村昭範

主文

一  被告らは各自原告甲野太郎に対し金三、八〇六万九、一一五円、原告甲野花子、同甲野一郎、同甲野咲子に対し各金一一五万円を、夫々当該金員に対する昭和四八年六月五日から各支払済まで年五分の割合による金員を附加して支払え。

二  原告甲野太郎、同甲野花子のその余の請求を棄却する。

三  訴訟費用は、原告甲野太郎と被告らとの間においては原告甲野太郎について生じた費用を三分し、その一を被告らの負担とし、その余の費用は各自の負担とし、原告甲野花子と被告らとの間においては原告甲野花子について生じた費用を四分し、その一を被告らの負担とし、その余の費用は各自の負担とし、原告甲野一郎、同甲野咲子と被告らとの間においては全部被告らの負担とする。

四  この判決は、第一項に限り仮に執行することができる。

事実

第一  当事者の求めた裁判

一  原告ら

1  被告らは各自、原告甲野太郎に対し金一億〇、〇九八万円、原告甲野花子に対し金三四五万円、原告甲野一郎及び原告甲野咲子に対し各金一一五万円を夫々右金員に対する昭和四八年六月五日から各支払済まで年五分の割合による金員を附加して支払え。

2  訴訟費用は被告らの負担とする。

3  仮執行宣言。

二  被告ら

1  原告らの請求をいずれも棄却する。

2  訴訟費用は原告らの負担とする。

第二  当事者の主張

一  原告らの請求原因

1  本件手術の施行及び結果

(一) 手術の施行

(1) 原告の甲野太郎は昭和四七年九月二日札幌医科大学附属病院内科において肝硬変症、糖尿病、胃潰瘍と診断され、同日から同年一一月八日まで同病院に入院、治療を受け、次いで同年一一月一七日国立札幌病院において脂肪肝、糖尿病、慢性胃炎の疑の診断を受け、同日から同年一二月一〇日まで同病院で通院、治療を受け、更に昭和四八年一月二四日札幌市所在金谷病院において肝硬変症、糖尿病、慢性胃炎の診断を受け、同日から同年二月一三日まで同病院に入院、治療を受けたものであるが、同年二月一四日札幌市豊平福祉事務所係員からのすすめにより、右内科疾患につき診療を受ける目的で、被告比田勝の開設、管理にかかる病院であり精神科、神経科、内科を診療科とする札幌市豊平区真栄所在北全病院に入院した。

(2) しかるに被告比田勝は同年四月一日頃原告甲野太郎の病状につき肝炎の外、慢性アルコール中毒症及び爆発型・意志薄弱型精神病質であると診断を下したうえ、同月一〇日頃同人に対し前頭葉白質切截術(ロボトミー)を施すことを決意し、同月一三日頃右手術の実施を札幌市中央区所在札幌市立病院脳外科医長医師被告竹田に依頼した。

(3) 被告竹田は同月一五日右依頼を引き受けたうえ、同月一九日右札幌市立病院内において原告甲野太郎に対し、左前頭葉白質切截術を行い、次いで同年六月五日同様に、右前頭葉白質切截術を施した。(以下本件手術という。)

(二) 手術後の症状

(1) 原告甲野太郎は、本件手術以後、昭和四八年九月頃までの間は、無口・失禁・常同行動・極端な無気力といつた減動状態を呈したが、それ以降現在に至るまで情意面の水準低下及び思考障害、即ち(ア)口数が少なく話し方が子供つぽく乱暴である。(イ)立居振舞は遅鈍で活気がない。(ウ)周囲への心配り等は少なく無作法、無遠慮である。(エ)身辺及び環境の整理をせず無頓着で投げやりで、更衣も自ら進んではしない。(オ)感情の鈍麻(無関心)(カ)無反省で倫理感など高等感情が薄弱である。(キ)抑制を欠いた思いつきの行動や刺激に対する単純な反応が目立つ。(ク)発動の減動、無気力、無計画等顕著な意志障害。(ケ)注意の転導が激しくものごとに注意力を集中することが困難である。(コ)記銘力・記憶力の障害、(サ)抽象的思考能力の障害、という一連の前頭葉症状群に当る症状を呈している。

(2) 原告甲野太郎の本件手術以後の右症状群はロボトミー後の人格変化として医学上認められている症状群と一致し、他に考えうる原因も存しない。従つて右症状群は、本件手術による大脳の器質的変性(病巣)に帰因する改善の余地のないもので、本件手術の後遺症というべきものである。

(3) そして、原告甲野太郎は右術後の諸症状の為、現在及び将来にわたつて、独立して生計を維持することが困難なことは勿論、日常生活全般にわたつて積極的かつ重厚な介護を要し、廃人というべき状態にある。

2  本件手術の違法性及び被告らの責任

(一) 治療の目的を有しないものであること

被告比田勝は、原告甲野太郎に対し本件手術を施すことを決意、依頼するに至つたについては、原告甲野太郎に対し、治療を施す目的ではなく、むしろ前記北全病院の経営に利する目的の下にこれをなしたものである。即ち被告比田勝は昭和四八年一月四日右病院を開設したのであつたが、管理しやすい患者を作り上げたうえこれを長期間同病院に入院させておき、もつて不当に医療費を取得することを意図していた。偶々原告甲野太郎において前記内科疾患の治療を受ける目的で同病院に入院したところその予期に反して直ちに精神科閉鎖病棟に拘束されたため憤激して同被告や同病院看護者に抵抗するや、被告比田勝はこれを奇貨として前記意図を遂げるため本件手術を決意するに至つたものであり、また被告竹田は、被告比田勝の右意図を知りながらこれに協力して、それぞれ前記のとおり本件手術を実施したものである。従つて本件手術は被告らにおいて治療目的を欠いており、原告甲野太郎に対する共謀による故意の傷害行為に外ならず、医療行為とは認められないものである。

(二) 医療行為性のないものであること

(1)(ア) ロボトミーは一九三五年ポルトガルのモニス(Moniz)が初めて精神病治療の目的で行い、アメリカのフリーマンとワツツ(Freeman & Watts)により追試されたもので、我国においては一九四二年中田瑞穂により導入されたものであつた。

(イ) しかし昭和三〇年代後半頃以降ロボトミーは大脳の前頭葉皮質と間脳の視床とをつなぐ神経線維に不可逆的な外科的侵襲を加えて切断することを内容とする手術であつて、脳に回復不能の損傷を与えるがゆえに、必然的に自発性、創造性、喜怒哀楽など人間としての重要な精神的諸機能を奪い、人格変化を齎らし、また屡々痙攣の発作、麻痺を伴い、そのうえ死亡率が非常に高い手術であり(三ないし八%)、しかもその治療効果は、経験的にみて概ね、著効三分の一、軽く効く三分の一、無効が三分の一という程度で、ほぼ三分の二については、ほとんど又は全く治療効果がないものであることが明らかになつてきた。

(ウ) 他方、一九五三年以来精神病に対する薬物療法が急速に発展してきた。

(エ) 従つて、ロボトミーは右事情の為昭和四〇年頃以降我国ではほとんど実施例を見ない状況であり、精神科領域の諸学会においては全く消極的な状況であつたものである。(越賀一雄、ロボトミーの経験とその批判(昭和二八年)一〇四頁、西丸四方、精神外科の是非(昭和三七年)一一七頁、広瀬貞雄、第二回国際精神外科会議に出席して(昭和四六年)一一〇〇頁、横井晋ら、前頭葉損傷の臨床的考察、前頭葉ロボトミー後の精神症状(昭和四七年)一〇一九頁)

(オ) 諸外国においてもソ連においては、昭和二五年一一月三〇日保険大臣命令により精神神経疾患に前頭葉白質破壊術を用いることを禁止し、アメリカにおいては一九七三年六月一八日オレゴン州で人間の思想、情動或は行動を変化させる主要な目的のために脳組織に不可逆的な損傷或は破壊を与える手術を禁止する法律が成立し、一九七三年九月一一日アメリカ連邦議会上院で、精神外科につき精神外科基準作成委員会で基準が作成されるまで、政府資金が関係する限りこれを禁止する法律が成立する等世界的にみても精神外科的療法としてのロボトミーは医療行為から放棄されていた。

(カ) 以上の次第で本件手術当時の医学水準によれば、ロボトミーは、すでに(ⅰ)それが、脳の構造及び機能、並びにその脳に与える影響・効果のメカニズムにつき医学的に未解明なまま人格の生理学的基礎である脳の一部を破壊するというものであること、(ⅱ)治療効果が不確実で、不安定なこと、(ⅲ)人権上問題の大きい前記の必然の副作用と生命への高度の危険性を伴なうこと、という問題点が指摘され、それゆえに精神医学界では禁止の趨勢にあり、かつ精神医学上適切な治療手段とは為し得ないものとされており、むしろ実験的性格の強い手術即ち一種の人体実験というべきものとなつていたということができる。

(2) 医師としては、当然、ロボトミーを精神科の治療手段としては用いてはならないという職務上の注意義務が存したのに、被告らにおいてこれを怠つて、慢然と前記のとおり本件手術を実施した点に被告らの過失がある。

(三) 適応症外の手術であること

(1)(ア) 仮にロボトミー自体の医療行為性が否定されないとしても、本件手術当時の医学水準によれば、ロボトミーの適応性については、苦悶の強い退行期うつ病、強迫神経症、非定型内因性精神病等が対象の中心とされ、精神病質、慢性アルコール中毒症はロボトミーの適応症ではないとされていたのである。従つて医師としては精神病質・慢性アルコール中毒症に対してロボトミーをしてはならない職務上の注意義務があつたものである。

(イ) しかるに被告らは、これを怠り慢然と前記のとおり原告甲野太郎につき爆発型精神病質及び慢性中毒症と診断しながら実施した点に過失がある。

(2)(ア) 仮に精神病質・慢性アルコール中毒症に対するロボトミーの適応が認められるとしても、原告甲野太郎は本件手術当時、精神病質・慢性アルコール中毒症ではなかつたし、その他ロボトミーを適応とする症状はなかつた。

(イ) しかるに、被告比田勝は後記のとおり原告甲野太郎につき不注意から爆発型精神病質・慢性アルコール中毒症と誤つて診断し、また被告竹田は後記のとおり不注意から原告甲野太郎に対する診断を誤り或いは、被告比田勝の右診断の誤りを見過ごした過失により、それぞれ前記のとおり、不必要な本件手術を施行するに至つた。

(ⅰ) 精神病質は、それが、持続性・反覆性のある生来的な性格の異常でその異常により本人又は社会が苦しむ種類、程度のものをいい、通常人との違いは量的な差異にすぎず、その判定は裁量的、価値判断的なものとならざるを得ないからその判定にあたつては異常性格の幼少からの持続性・反覆継続性、異常行動が他の精神病によるものではなく、また主に環境の影響によるものでもなく、本人の性格の異常を主因とするものとしか考えられないことを指標に、特に慎重を要すべきものである。

従つて医師は、精神病質の診断においては、患者の生活史・既応歴、現在の精神症状につき、患者本人との面接・対話を中心にしてこれに患者本人に対する観察、家族及び利害関係のない第三者(警察官、近隣住民等)との面接、更には患者本人に対する心理テスト、脳波検査等の補助手段等の方法を用いて、資料を集め、これらを分析して、患者の現在の症状の把握とその症状の発生のきつかけ・原因の解明に努めたうえ、これらを総合判断して為すのでなければその診断は不可能である。

しかるに被告比田勝は原告甲野太郎の診断にあたつて、札幌市豊平福祉事務所係長高谷博夫、原告甲野太郎の妻である甲野花子の申述を聴き、これに原告甲野太郎に対する心理テストと観察の結果を加えただけで前記診断を下したものであつて、その他の方法による資料収集をせず、とりわけ原告甲野太郎本人との対話についてはこれを怠り、また原告甲野太郎の前記北全病院に対する入院についての憤激及び抵抗の態度を精神症状と見誤つたものであるから、右診断は明らかに誤診なのである。

(ⅱ) また医師は治療行為をするにあたつては自ら患者を診断すべき義務があるところ被告竹田は、自らは精神科的診断を十分行なうことをせず、また専門外ということで自らの診断が十分たりえないのであれば他の専門医の診断を依頼すべきところ、これをもせず、安易に被告比田勝による原告甲野太郎についてのカルテ記載等と説明とをもつて足れりとしたため、原告甲野太郎につき、爆発型精神病質及び慢性アルコール中毒症と誤診し、かつ被告比田勝の誤診を看過したものである。

(四) ロボトミー選択の誤り

(1) 本件手術当時の医学水準によれば、ロボトミーは前記のような性質の手術であるから、たとえ適応症に対して許されるとしても、他の療法を十分試みてもなおかつ所期の治療効果が得られない場合に初めて考慮の対象となる最終的例外的な治療手段であるとされていたものである。当時の精神医学における治療手段としては、精神療法、環境療法が根幹であり、限定された補助手段として薬物療法、電気シヨツク療法が用いられていた。しかるに被告比田勝は原告甲野太郎に対し、ただ大量の投薬と電気シヨツク療法を施しただけで、十分な精神療法・環境療法を試みてはいなかつた。

(2) 従つて右のような場合医師としてはロボトミーを治療手段として選択すべきではないのに、被告比田勝においてはたやすくロボトミーを選択した過失により、また被田告竹田は、被告比田勝と同様の過失により、又は被告比田勝の右判断の誤りを看過した過失により、特段の緊急性もないのに、それぞれ前記のとおり本件手術を実施した。

(五) 術式選択の誤り

仮に原告甲野太郎にロボトミーの必要性があつたとしても、その術式については医学上、従来のスタンダード式は余りに人格水準の低下が甚だしいものとの批判を受け、既に過去のものとなつていたのであるから医師としてはこれを避け、例えばより副作用の少ない術式とされているアンダーカツテイング式(切開吸引法)などを採用すべき当然の義務があつたものである。しかるに被告竹田は本件手術にあたつて、これを怠り慢然と直視下というだけで術式としては副作用の大きい従来のスタンダード式により本件手術を行なつたものであり、被告竹田には術式選択を誤つた過失があり、為めに原告甲野太郎には本件後遺症を招来した。

(六) 原告甲野太郎本人の同意なくして行つたこと

(1) 被告らは本件手術施行の前に、原告甲野太郎に対しロボトミーの必要性・危険性・効果等につき十分説明したうえ、同人の承諾を得るのでなければ本件手術につき違法たるを免れないものであるところ、これを怠り、原告甲野太郎の同意なしに、それぞれ本件手術を施行した。

(2) 仮に原告甲野太郎の同意がなくとも、その妻たる原告甲野花子の同意で足りるとしても、原告甲野花子は本件手術について同意をしていない。

(3) 仮に原告甲野花子が本件手術について同意したとしても、被告らは、原告甲野花子に対し、本件手術によつて原告甲野太郎が前記いわゆる無気力人間になる等の本件手術のマイナス面の説明をなしていなかつたから、右同意があつたとしてもその同意は無効である。

3  損害

(一) 原告甲野太郎

本件後遺症のため原告甲野太郎は後記(1)ないし(4)のとおり合計金一億〇、〇九八万円の損害を蒙つた。

(1) 逸失利益 金四、五六八万円

本件後遺症は精神に著しい障害を残し常に介護を要するもの(後遺障害等級表一級三号)に該当し原告甲野太郎は生涯にわたりその労働能力を全部喪失した。

原告甲野太郎の喪失した労働能力を金銭に評価すれば、昭和四八年六月(本件手術直後)から三年分として、昭和四七年当時の同原告が鉄筋工として得ていた平均年収金一五〇万円に三年間分のホフマン係数2.73を乗じ、これにその間の稼働能力(右三年間は同原告は肝機能障害・胃腸障害・糖尿病の内科疾患の治療を要する。)八割を乗じた金額金三二七万円(万未満切り捨て、以下同様。)と、昭和五一年六月以降同原告が満六七歳に達するまでの三四年間分として、昭和五一年の全男子労働者平均賃銀年収金二三七万〇、八〇〇円に三七年間分のホフマン係数20.62から三年間分のそれ2.73を減じた係数を乗じた額金四、二四一万円、との合計金四、五六八万円となる。

(2) 入院治療費ないし退院後の介護料

金二、七一三万円

本件後遺症のため原告甲野太郎は本件手術直後の昭和四八年六月以降相当長期間の精神病院入院治療を要し、また退院しても常時介護を要する。

右入院治療費ないし介護料として少なくとも月額金一〇万円、年間金一二〇万円を要し、生涯分としては、これに同原告の昭和四八年六月からの平均余命四三年間分のホフマン係数22.61を乗じた額金二、七一三万円を要する。

(3) 慰藉料 金一、五〇〇万円

前記のとおり原告甲野太郎の拒否にもかからず、本件手術が施され、その結果前記のとおりの後遺症により廃人となり生涯回復の見込がなく、長期入院、常時介護を要する等の事情を考慮すれば、同原告の精神的苦痛を慰藉する額として金一、五〇〇万円は下らない。

(4) 弁護士費用 金一、三一七万円

右(1)ないし(3)の合計額の一割五分に当る金一、三一七万円が相当である。

(二) 原告甲野花子

原告甲野花子は、原告甲野太郎の妻であるところ、本件手術によつて夫の性格が一変し本件後遺症の為に廃人となつたため、円満正常な家庭生活も望めず、今後長期間原告甲野太郎の面倒をみていかねばならない状態になつたことにより、右損害に対する慰藉料金三〇〇万円と弁護士費用金四五万円(ただし右慰藉料の一割五分)との合計金三四五万円の損害を蒙つた。

(三) 原告甲野一郎及び同甲野咲子

原告甲野一郎、原告甲野咲子は、原告甲野太郎と原告甲野花子の間の子供であるが、本件後遺症の為、父親を失なつたに等しく、両親揃つての円満な家庭で養育される利益を失なつたことにより、右損害に対する慰藉料各金一〇〇万円と弁護士費用各金一五万円(ただし右慰藉料額の一割五分)との合計金各一一五万円の損害を蒙つた。

4  よつて原告らは、被告ら各自に対し、それぞれ請求の趣旨のとおり、右不法行為による各損害金とこれに対する本件手術終了日から支払済まで年五分の割合による各遅延損害金の支払を求める。

二  請求原因に対する被告らの答弁及び主張

1  被告比田勝

(一) 請求原因1の(一)の(1)の事実中、被告比田勝は北全病院を開設、管理していたこと、被告比田勝は昭和四八年二月一四日原告甲野太郎を診療のため北全病院に収容したことは認めるが、その内科疾患についての診療の目的であつたことは否認する。(2)及び(3)の事実は認める。

(二)の事実は否認する。

2の事実中、(一)の事実は否認する。(二)の事実中、(1)の(ア)ないし(ウ)の事実は認めるが、その余の事実は否認する。(三)の事実中、被告比田勝は原告甲野太郎に対し爆発型精神病質・慢性アルコール中毒症と診断したことは認めるが、その余の事実は否認する。(四)の事実中、本件手術当時、医学水準として、ロボトミーは、他の療法によつて治療効果が得られない場合、初めて考慮の対象となる最後的な治療手段であるとされていたことは認めるが、その余の事実は否認する。(六)の事実中、被告比田勝は原告甲野太郎から本件手術施行についての承諾を求める手続を措らなかつたことは認めるがその余の事実は否認する。

3の事実は否認する。

(二)(1) 被告比田勝は原告甲野太郎に対する治療目的を以て本件手術の施行を決定したものであること

被告比田勝は昭和四八年四月一日頃甲野太郎につき爆発型精神病質・慢性アルコール中毒症と診断したので、その根治の為に必要と考えて本件手術の実施を決定したものである。

なお、現行医療報酬制度では投薬・注射による積極的治療が最も効率よく報酬を得られるのであつて、いわゆる長期沈澱患者に対する作業療法レクリエーシヨン療法によつては、医師は最低の診療報酬しか得られないのである。このことからみても被告比田勝の本件手術実施決定が原告甲野太郎に対しロボトミーによりいわゆる沈澱患者とすることの図利目的の下にこれをなしたものでないことは明らかである。

(2) ロボトミーは医療行為性を有するものであること

ロボトミーは、その開発者モニスがこれによりノーベル医学賞を受賞した医学上有名な手術であつて、強い性格異常が存し、これにより自らが悩みまたは社会を悩ませるいわゆる精神病質者特に爆発型の者に対しては昭和四三年頃までは大いに実施されていた手術であり厚生省の精神科治療指針や健康保険の点数表にもその記載があり、法的に医療行為として認められている手術である。ただ最近では、その後遺症及び死亡率の高いことのため、多くは実施されなくなつてきたが、薬物療法その他の限界が明らかになるにつれ、ロボトミーが治療法として再認識されてきているものである。

(3) 原告甲野太郎の症状は本件手術適応であつたこと

(ア) ボトミーの適応症については、不安、苦悶、困惑、異常な興奮性というような感情の緊張状態が続き、社会的適応性が著しく阻害されている症例及び爆発性の精神症状が医学上その対象として認められている。そして、ロボトミーは、理想的に効けば、原告甲野太郎のような緊張・爆発性のある精神病質・慢性アルコール中毒症から、緊張・不機嫌・易刺激性・激昂・爆発・攻撃性という精神症状をとり除き、また飲酒及び中毒症状を消滅させる効果を有するものである。

(イ) 被告比田勝は昭和四八年二月一四日以来約二か月にわたつて原告甲野太郎の症状を観察し、またその妻原告甲野花子らから原告甲野太郎の昭和四二年以来の生活史を調査した結果、次記のような問題行動の存したことを把握したので、このことから原告甲野太郎について爆発型に病的緊張の混じた複合型精神病質とこれに慢性アルコール中毒症を合併したものとの確定診断を下した。

(ⅰ) 原告甲野太郎は、相当以前から肝臓が悪いにも拘らず飲食を慎まず、ときに暴言を吐き、暴力を振い、夜になつても眠ろうとせず、日に五、六回も食事をするという奇異な行動を示していたこと、

(ⅱ) 原告甲野太郎は昭和四七年九月頃、共立診療所の担当医師によリアルコール中毒症であり、専門的治療を要するとの診断を受けたことがあつたこと、

(ⅲ) 原告甲野太郎は昭和四八年一月頃飲酒にふけり、精神的に焦燥があり、倦怠感を訴え、不眠不機嫌で妻原告甲野花子及び子原告甲野一郎、同甲野咲子に対し当たり散らし暴力をふるい、叱りつけることが度重なつた。原告甲野花子は、そのためその頃札幌市豊平福祉事務所を訪れ、係員に対し原告甲野太郎の精神病院への入院又は離婚の希望を述べる状況であつたこと、

(ⅳ) 原告甲野太郎は、昭和四八年二月一二日、入院中の金谷病院(内科)において、飲酒のうえ、同室の患者と口論したあげく、その顔面を強打して負傷させ強制退院させられた。

(ⅴ) 原告甲野太郎は前記北全病院へ入院の際、「金はなんぼでも出すから特別室に入れろ」等と言つて奇異な言動に出た。

(ⅵ) 原告甲野太郎は北全病院入院中、強い易刺激性を示し、些細なことから同病院職員・看護婦や他の患者らに対し攻撃的態度を示し、更には暴行に及んだり、勝手に器物を占拠したりガラスを割ろうとしたりする不穏な行動が目立つたが、殊に同年三月一三日、他の患者と看護婦との短い会話に触発されて、看護婦詰所に乱入し点滴瓶四〇本等器物を多数破壊し、制止しようとした同病院職員の胸のピンセツトで刺そうとしたり、一晩中眠らずに俳徊したこと、原告甲野太郎は、同月一四日、突然同病院一階事務室へ乱入し外泊したい様子で興奮して同病院職員らに対し攻撃的態度で脅したこと、なお被告比田勝はその際妻原告甲野花子らを呼んで外泊受入れについて確かめたところ、同原告らはこれを望まず、かえつて原告甲野太郎の粗暴な言動を恐れて身を隠したので原告甲野太郎は益々興奮して、職員らに暴行を加えて負傷させる等したうえその制止をふり切つて、そのまま脱院して自宅へ戻り、原告甲野花子はおびえて自宅へ戻らず、他に避難したこと、原告甲野太郎は同月一六日自ら同病院へ戻つて来たが、以来緊張と不機嫌が続き些細なことに攻撃性を示し、時には、わめき、ドアを蹴り続け、ガラスを割ろうとし、医師の説得に対しても全身をふるわせて襲いかかろうとする症状であつたこと、

(ウ) 従つて被告比田勝がこのような原告甲野太郎の精神症状に対してロボトミー実施を決意し、その依頼をしたことは正当である。

(4) ロボトミー選択に至るまでの治療

被告比田勝は、原告甲野太郎の北全病院入院以来、同人に対し観察を続けながら、クロールプロマジン、レボトミン等の向精神薬の漸増療法を試み、これに同人の体調を見つつ電気シヨツク療法を施行したが所期の効果がなかつた。そこで被告比田勝は、原告甲野太郎の前記精神症状に対する最終的治療手段として、ロボトミーしかないと判断したのである。

(5) ロボトミーについての承諾

被告比田勝は本件手術について原告甲野太郎の承諾を得ていない。しかしながら、同原告には正当な判断力を欠いており、承諾能力はなかつたし、また治療上の配慮からも同原告に本件手術の説明をすれば、益々興奮して症状が悪化することが明白であるから同原告から承諾をとることは不可能であつたのである。しかして被告比田勝は同原告の入院に際し、精神衛生法第三三条による保護義務者(妻である原告甲野花子)からその同意を得たものである。そして、右入院の同意は原告甲野太郎に対する医療及び保護のための入院なのであるから、ロボトミーを含めた入院中の全治療行為についての同意に外ならない。従つて、本件手術につき、被告比田勝があらためて原告甲野太郎の同意をとる必要はそもそもないのである。

更に、被告比田勝は、昭和四八年三月中旬頃、北全病院において、原告甲野太郎の妻原告甲野花子、姉訴外乙野和子らに対し、「原告甲野太郎の根本治療はこのままでは不可能であること、最後の手段として脳の手術があり、これはその手術により三人に一人は死亡し、また術後は無気力な人格になつてしまうこと、その手術は、他の病院で行うこと」の三点を説明し、これについての同意を求めたところ、原告甲野花子らはこれを了解のうえ同月一九日被告比田勝に対し本件手術に同意し、ロボトミー依頼書を作成交付したものである。

被告竹田

(一) 請求原因1の(一)の(1)の事実は知らない。(2)の事実中、被告竹田が札幌市中央区所在札幌市立病院脳外科医長であつたこと、被告比田勝は昭和四八年四月一三日頃被告竹田に対し本件手術の施行を依頼したことは認めるが、その余の事実は知らない。(3)の事実は認める。(二)の事実は知らない。2の(一)の事実は否認する。(二)の事実中(1)の(ア)ないし(ウ)の事実は認めるが、その余の事実は否認する。(三)の事実中、被告比田勝が原告甲野太郎に対し、爆発型精神病質・慢性アルコール中毒症と診断したことは認めるが、その余の事実は否認する。(四)の事実中、本件手術当時、医学水準として、ロボトミーは他の療法によつて治療効果が得られない場合、初めて考慮の対象となる最終的な治療手段であるとされていたことは認めるが、その余の事実は否認する。(五)の事実中、被告竹田は本件手術につきスタンダード術式を採用したことは認めるが、その余の事実は否認する。(六)の事実中、被告竹田が本件手術施行につき原告甲野太郎からその同意を得る手術を措らなかつたことは認めるが、その余の事実は否認する。

3の事実は否認する。

(二)(1) 本件後遺症について

仮に原告甲野太郎において、原告らの主張のような症状が存するとしても、本件手術直後の減動状態は術後に見られる一過性のものであつて、既に昭和四八年一二月までには消褪しているものである

本件後遺症のうち口数が少ないこと、発動の減動、無気力、等の各症状は、本件手術前の同原告の症状である衝動性、爆発的興奮性、過緊張の寛解を主目的とした本件手術の効果を示す症状というべきである。その余は医学上ロボトミー後の人格像として明確にはされていないもので本件ロボトミーに帰因するものとは言い得ないものである。またそのうち抑制を欠いた思いつきの行動や刺激に対する単純な反応、抽象的思考能力の障害は、原告甲野太郎の術前の精神症状とも一致するものであつて、本件ロボトミーにより惹起されたものではない。

(2) 本件ロボトミーは適法であること

(ア) 現在の医療体系の下ではロボトミーが医療行為として適格であることは当然のこととされており、ただその濫用がいましめられ、その適応症の選択に慎重さが求められ、かつ他の治療手段を十分行なうもなお所期の治療効果が得られない場合においてのみ最後的手段として考えるべきである等の制約を受けているに過ぎないものである。

(イ) そしてロボトミーは右制約の下に最少の副作用で最大の効果を得るよう配慮したうえで爆発性精神病質で反社会性の強いものにつき、欲動・情動の興奮性の減弱、緊張状態の解除のため実施することは医学上認められているところである。

(ウ) 今日、医学の専門分化が進み、本件手術のように専門医間にわたつて医療が為される場合、その診断・治療行為については、相互に高度の信頼関係に立つて行動することが必要不可欠なことであり、実態である。従つて脳神経外科医は精神科医から協力を求められた場合には、精神科医の為した診断及び治療方法の決定につき明らかな不審の点が認められない以上、これを信頼、協力するのが通常の実態であり、脳神経外科医において、全く独自の立場から精神科医と同様の診断・治療をしたうえで判断すべき注意義務は存しないのである。そして脳神経外科医たる被告竹田は昭和四八年四月一五日精神科医たる被告比田勝から、「原告甲野太郎が精神科的には精神病質(爆発型異常性格で暴力的無抑制)で各種治療方法を施すも効果なく、結局ロボトミー以外に治療方法がなく、同原告の家族らにも診断、治療経過及びロボトミーの概略、後遺症等について十分説明して同人らからロボトミー実施につきその承諾をとつていること」等についての説明を受けたうえ、原告甲野太郎に対するロボトミー実施の依頼を受けたので、原告甲野太郎の精神症状及びロボトミー施行については被告比田勝の右診断を信頼し、本件手術を施したものである。従つてこの点につき被告竹田に過失を論ずる余地はない。

(エ) 被告竹田は本件手術を直視下切截法により施行した。これは、手術の際の安全と切截部位の正確性を期して直視下にしたうえ、原告甲野太郎の精神症状を考慮し、切截部位・範囲につき配慮して、アンダーカツテング方式の効果、即ち過敏な感情緊張状態の解除とスタンダード方式の効果、即ち欲動・情動の減弱、の双方の治療効果を意図したもので、本件の場合に被告竹田において術式選択の誤りはない。しかも被告竹田は、本件手術において、第一回目は優位大脳側の半球につき施術して効果の有無を見たうえ、効果のなかつたことを確認して他側の半球につき第二回目の施術を行なつたもので、副作用等について最小に抑えるよう十分の注意を払う等、同原告の精神症状に対し合理的な施術方法を採つたものである。

(オ) 被告竹田は、原告甲野太郎の札幌市立病院への転院の際、原告甲野太郎の妻原告甲野花子から、その入院同意を得たものであるが、原告甲野花子はその際右入院がロボトミー施行のためであることは充分了知していたものである。

第三  証拠<省略>

理由

一本件手術の施行及び結果について

1  手術の施行

(一)  <証拠>によれば、原告甲野太郎は昭和一九年二月一〇日夕張市大夕張鹿島一番地において父炭鉱夫亡甲野乙彦、母亡タエの長男として、出生し、長じて夕張工業高等学校に入学したが、中退して同地の運送会社に雑役夫として、次いでバーテンダーとして稼働していたが、昭和三九年一二月同地においてバーホステスをしていた原告甲野花子と婚姻し、子原告甲野一郎(昭和四一年四月六日生)、同咲子(昭和四五年五月一九日生)があること、原告甲野太郎は昭和四〇年八月札幌市内に転居し、以来昭和四六年一〇月頃までの間転々として雑役夫、運転手、鉄筋工として稼働していたが、昭和四六年一一月飲酒による肝臓障害を起し稼働も休み勝ちとなつた。

原告甲野太郎は昭和四七年八月二九日札幌市所在共立診療所において慢性肝炎、アルコール中毒症と診断され、そのため稼働不能となり、妻原告甲野花子、子原告甲野一郎、同甲野咲子の扶養も出来なくなつたので、以来生活保護法による扶助を受けていたものであることが認められる。

そして前掲同証拠によれば、原告甲野太郎は昭和四七年九月二日札幌医科大学附属病院内科において肝硬変症、糖尿病、胃潰瘍と診断され、同日から同年一一月八日まで同病院に入院・治療を受け、次いで同年一一月一七日国立札幌病院において脂肪肝、糖尿病、慢性胃炎の疑の診断を受け、同月から同年一二月一〇日まで同病院に通院・治療を受け、更に昭和四八年一月二四日札幌市所在金谷病院において肝硬変、糖尿病、慢性胃炎の診断を受け、同日から同年二月一三日まで同病院に入院・治療を受けたことが認められる(このことは原告らと被告比田勝間においては争いがない)。

ところが<証拠>によれば、原告甲野太郎は昭和四八年二月一二日前示入院中の金谷病院内において同室患者と口論の上、その顔面を殴打負傷せしめたため、原告甲野太郎は翌一三日金谷病院から入院を拒絶され、帰宅したが、原告甲野花子は原告甲野太郎をその家庭で療養させることは困難であつたので、直ちに札幌市豊平区福祉事務所担当吏員訴外高谷博夫に対しその窮状を訴えて相談したこと、そこで訴外高谷博夫はかねて原告甲野花子から「原告甲野太郎は屡々飲酒に耽り、妻子に対し暴力を振う状態であるので精神病院入院を希望する。」旨告げられていたこともあつたので、ここに被告比田勝の開設、管理にかかる病院であり、精神科、神経科、内科を診療科とする札幌市豊平区真栄所在北全病院を診療先として選定し、原告甲野太郎に対し、北全病院への入院を勧め、かつそれが内科治療を目的とするものであるが、療養態度、病状如何によつては同病院併置の精神科入院もあり得る旨を告げ、また同時に原告甲野花子に対しても同旨を告げ、同人らの同意を得たので、昭和四八年二月一四日原告甲野太郎を北全病院に同行し、その入院手続をとらせたことが認められる。

(二)  <証拠>によれば被告比田勝は昭和四八年二月一四日原告甲野太郎につき一次診断として精神病質と判定したうえ、精神科閉鎖病棟に収容し、以来、原告原告甲野花子及び前記訴外高谷博夫らから原告甲野太郎の生活史(殊に原告甲野太郎は前記婚姻以来、飲酒にふけり、稼働も永続きせず、平素無口だが、易刺激的で直ぐ暴力を振うことがあつたこと等)、入院後の原告甲野太郎の行動の観察(特に原告甲野太郎は前記入院時、看護人らに対し「差額は幾らでも支払うから、バス、トイレ付の特別室に入れろ」と要求したこと、原告甲野太郎は昭和四八年三月一三日北全病院二階看護婦詰所に来り、同所に在つた点滴瓶多数を破損させ、制止に入つた同病院男子職員に対しピンセツトを以て刺そうとする態度に出たこと、また原告甲野太郎は翌一四日同病院及び原告甲野花子らの制止、説得を振切つて外出したこと――しかし原告甲野太郎は翌一五日帰院した――、原告甲野太郎は入院以来常に不機嫌な状態が持続していたこと等)及び性格テストの結果等参酌のうえ昭和四八年四月一日原告甲野太郎につき確定診断として爆発型・意志薄弱性精神病質及び慢性アルコール中毒症と判定したこと、そして被告比田勝は同月一〇日頃原告甲野太郎に対し右治療方法として前頭葉白質切截術(ロボトミー)を施すことを決意したうえ、同病院にはその設備もなく、かつ自らこれを施行する経験・技能が充分でないため右施行を札幌市所在市立病院脳外科医師である被告竹田保をしてなさしめようと考え、同月一三日頃被告竹田に対し右事情を告げると共にこれを依頼したことが認められる。

(三)  <証拠>によれば、被告竹田は右依頼に応じたので、被告比田勝は同年四月一九日原告甲野太郎につき札幌市立病院への転入院の手続をとり、次いで被告竹田は同日札幌市立病院内において原告甲野太郎に対し左開頭式(トレフアン三センチメートル直経使用)左前頭葉白質切截術を行つたこと、被告比田勝は同年四月二七日原告甲野太郎を再び北全病院に収容し、以来、原告甲野太郎につき診療を継続していたが、同年六月二日にいたり、原告甲野太郎につき、その状態は前記術前の状態に戻つたと判断し、更に同様に右前頭葉白質切截術をも施すことを決意し、被告竹田に対しこれを依頼したこと、被告竹田はこれに応じ、同年六月五日原告甲野太郎につき札幌病院へ再入院させたうえ、同日同病院内において原告甲野太郎に対し、右開頭式右前頭葉白質切截術を行つたこと、原告甲野太郎は同年六月二九日札幌市立病院から退院し、次いで間もなく被告比田勝の勧めを拒絶し、旭川市所在旭川精神病院(医師直江善男)に入院し治療を受けていることが認められる。

そして、<証拠>によれば、本件手術の内容は、左前頭葉白質切截術の場合、剃髪後、迎珠(Tragus)左外眼窩縁を結び、正中矢状線に対して平行線を引きP点を求め、P点を中心に頭蓋骨に直径三センチメートル位の円形の孔をあけて皮膚を露出させ、そこでキリアン氏鼻中隔起子を六センチメートルの深さまで刺入させたまま皮質穿刺部位を中心支点とし冠状縫合に平行に眼窩脳に達して下方に切截を進めたうえ引抜き、次いで再びロイコトームを五センチメートルの深さまで刺入させ、同様に、上方に向けて切進み、眼窩切截まで及ぼしたものであることが認められる。

2  本件後遺症

(一)  <証拠>によれば、原告甲野太郎は本件手術の直後である昭和四八年七月五日以降旭川精神病院に入院し、以来同病院長医師直江善男の下で治療を受けているが、原告甲野太郎は、本件手術直後みられた無口・失禁・常同行動・極端な無気力等の強い減動状態、身体症状は、昭和四八年九月末、ないし同年一二月頃までに、ほぼ消褪したが、以降原告らの主張1(二)(1)の(ア)ないし(サ)の各症状のほか、次の症状を呈していることが認められる。

(1) 原告甲野太郎は、右病院での日常生活において日課に全く無頓着で、他の患者との協調交歓を欠き、午前中は就床していることが殆んであり、食事時間には他の者の準備等にはお構いなしに一人だけ歯も磨かず更衣もせず、さつさと食べてしまい、種々の療法にも不参加で、終日、喫煙、俳徊し、何をやつても長続きせず身だしなみ、身の廻りの整理整頓に全く無頓着である。

(2) 同原告の病院生活における主な関心の対象は、煙草や嗜好品の購入で、小遣銭の額に関係なく衝動買いが多くて自制ができず、いつも赤字でこれが累積している。そして、「煙草代を他の患者から借りたが返済を求められたのが面白くない。赤字の解決の方法がないので死にたい。」等と言つて、夜間当直の医師に不機嫌な様子で訴え、その医師が二〇〇円を貸与するとそれで満足げに喜ぶ。小遣銭の使用を制限されるとすねたり不機嫌になるものの、多少これを与えるとすぐ機嫌が良くなる。無展望に退院要求をする一方、小遣銭が月二万円あれば病院にいる等ともいう。

(3) 同原告の社会性訓練等のため外泊を認めて家族の下に帰しても、予定日を消化する前に帰院することが常である。家庭で菓子を原告甲野一郎、同甲野咲子と同じに分け与えられても、先に自分の分を食べてしまつて子供たちの分に手を出し、子供たちから叱られて「病院へ帰れ。」等とののしられる有様である。家では漫然と寝ていることが多く、また子供たちを、うるさいと言つて殴ることもある。

(4) また、同原告の現在の状態は、独立生計を営むことはできず、日常生活上の諸動作は可能であるが、社会性を欠くため常に誰かが見守つて保護することを要する。

右事実からすれば、原告甲野太郎の本件手術以後現在までにおける状態は無気力・無関心・怠惰で無抑制、自発性欠如、集中力なく単純軽薄で即物的反応、という情意面全般にわたる人格水準の低下、換言すれば幼児とおなじような水準でかつ無気力でだらしのない、いわば怠けものの人格であるということができる。

(二)  <証拠>によれば次のように認められる。即ちロボトミーは疾患ないしプロセスそのものに対し有効なのではなくて、疾病に反応する側の人間の、精神反応形式を改造しようと試みるものである。即ち、前頭葉に外科的侵襲を加えることによりこれと情動の中枢とされている間脳や視床との間の線維結合を遮断するものであり、これにより人為的に前頭葉脱落症状を引き起こし、そのいわゆる前頭葉症状群でもつて、治療対象となる精神症状を相殺し、間接的に精神障害に好影響を与えることをねらう手術であり(尤も、眼窩脳・視床・及び眼窩脳・側頭葉を結ぶ連絡路の部分的破壊によつて辺縁系の複合機能に影響を及ぼし、その結果として情動行動の様式が変化する、即ち内因性の病的機転や病相或いは他の何らかの生物学的条件に対する各人の生物学的反応形式を変化させることによつて病的精神症状を消失或いは減弱させることにあるものと主張するものもある。<証拠>(懸田克躬外編集、広瀬貞雄担当熱筆、現代精神医学大系第五巻六五頁))このようなロボトミーは、前頭葉脱落(全面的機能停止に至らぬ場合でもその機能障害)を前提とするがゆえに、治療効果とは別に程度の差はあれその前頭葉症状として起る人格変化が必然的に伴うこととなるが(殊にいわゆる標準術式の場合)大脳の機能については一部が破壊されても他の部分が代行する等してその機能が同じ形で、又は異なつた形で再構築されることもありうるところであるから、その切截部位、程度、患者の回復力各個人の術前病前の性格の相違等によつては、ロボトミー後のいわゆる前頭葉症状群のすべての症状が現われるとも限らず、またそれが恒久的に固定するとも限らないと考えられている。

そしてかかる標準式ロボトミー後に生じる人格変化としては医学上一般に次のようにいわれている。即ち人間らしい高度で複雑繊細な欲動、感情・思考が失なわれ、思考行動における積極性持続性、他人への思いやりや協調性、創造的空想力といつたものを欠き、刺激に対する単純浅薄な反応、原始的欲動の無抑制、利己的で無反省でなげやりでかつ受動的な生活態度が目立つ。自己及び環境に対する関心の減少、感情の動きの単純浅薄化、感情経験の深さの減退、自発性の低下、創造への欲動の減退、内省力が乏しく抑制力がなくなり性質が外向化し一般に上機嫌となる。なお、記憶知識習慣的行動等はあまり影響を受けない。

(三) そこで、本件手術と前記認定にかかる原告甲野太郎の術後の症状との間の因果関係を検討するに、原告甲野太郎の前示本件手術後の諸症状は前記医学上ロボトミー後の人格変化として述べられているところと対比して、表現の差はあれ同一内容のものということができ、かつ後記認定の、本件手術前における同原告の、短気で粗暴で他人の言動行動に敏感に反応し自己主張が強くこれを力ずくでも通そうとするという積極的性格とは全く異なつた人格像を示すものであり、このことは、本件手術が術後の同原告の右諸症状の原因であることを一応推認せしめるものである。

<証拠>によれば原告甲野太郎は前記旭川精神病院入院以後昭和五二年一月頃までの間レボトミン・コントミン・メレリル等の向精神薬の通常量の投与を受け、次いで昭和五二年一月頃以降その通常量の半分ないし三分の一以下の投与を受けていたことが認められるから、同原告の本件手術後の前記諸症状のいくつかには、これらの向精神薬投与の影響が加わつたものである可能性が考えられるが、しかしながら<証拠>によれば被告比田勝は本件手術前北全病院において原告甲野太郎に対し、レボトミン・コントミンを通常量投与したが、これらは術前の同原告に対し一時的効果しかなかつたことが認められ、これと前示昭和五二年一月頃以降同原告に対する向精神薬の投与量は通常の半分ないし三分の一以下に減少したが、前記術後の諸症状には影響がなく、これらは本件手術後から固定したものであることに鑑みると、同原告の現在の症状殊に無気力・怠惰・単純浅薄・幼児化という人格水準の低下は正に本件ロボトミーに起因する人格変化であつて、人間の意欲・自発性・創造性・思考等の高次の精神活動と深いかかわりあいのある大脳前頭葉に対する本件手術による不可逆的侵襲により引き起こされたと考えるのが相当である。

従つて、前記術後の同原告の諸症状と本件手術との間に因果関係があるというのが相当である。

二原告甲野太郎の本件手術以前の症状について

1  症状

被告比田勝は昭和四八年四月一日原告甲野太郎につき、爆発型、意志薄弱精神病質と診断したことは前示のとおりである。

そこで以下この点につき検討することとする。

<証拠>を総合すれば、原告甲野太郎の本件手術以前の状況につき、次の事実が認められる。

(1)  原告甲野太郎は、前示の通り鉄筋工として稼働していたが、飲酒の為肝臓障害を起こして仕事も休みがちだつたが、やがて稼働不能になり、昭和四七年八月頃以降生活保護を受けている。家族は妻原告甲野花子と長男原告甲野一郎、長女甲野咲子である。

(2)  原告甲野太郎は結婚以来二日間に一升程度の酒を飲むことが多く、休日には翌朝まで一升酒を飲み続けることもあるほど酒好きで、また短気な性格であつたが、昭和四七年二月頃から肝臓障害に加え精神的な焦燥感が出て来てほとんど働かず、また病院にも通わず、不眠、不機嫌、暴食等の奇異な行動をとつたり、酒を飲んで、又は飲まなくとも、些細なことで激昂して妻子に当り散らし暴力をふるうことが度重なつた。この為妻原告甲野花子は昭和四八年一月札幌市豊平福祉事務所を訪れ同所係長高谷博夫らに対し、原告甲野太郎の暴行を訴え、同原告の精神病院への入院を強く希望し、離婚の希望も述べるに至つた。

(3)  原告甲野太郎は昭和四七年八月共立診療所の担当医師により、慢性肝炎、アルコール中毒症との診断を受け、アルコール中毒症の治療の為専門医にかかることを勧められた。

(4)  同原告は昭和四八年二月一二日金谷病院(内科)入院中飲酒のうえ他の患者と口論のうえ顔面を強打して負傷させ、退院させられた。

(5)  同原告は同月一四日北全病院入院の際、持参の果物ナイフの持込を禁じられたことで同病院職員に対し威圧的態度を示したり、自動車を持つていないのに、これを取つてくる、旨申し出たり、「金はなんぼでも出すから特別室に入れろ。」等と要求したり、家に電話させろと言つて同病院職員の制止にもかかわらず電話したりする等同病院職員の目から見ると、他の患者に例のない特異な行動が目立つた。

(6)  同原告は北全病院入院中の同年三月一三日他の患者と看護婦との会話(内容は不詳)に刺激されて急に激昂し、看護婦詰所に行つて点滴瓶を少なくとも一二、三本割り、看護婦、男子職員らと五分間位もみ合つた。

(7)  同原告は同月一四日退院を申し出て興奮し始め、タクシーに乗つて来院した原告甲野花子らに対し「なして車をかえした。なして来たんだ。来る必要はない。中へはいる必要はない。」等と叫び、原告甲野花子は、原告甲野太郎の目から姿を隠し、被告比田勝に対し「原告甲野太郎を病院から出さないでほしい。」旨述べたが、原告甲野太郎は北全病院職員らともみ合つてうち数人を殴つたりしたうえ、その制止をふり切つて、自宅へ帰つた。しかし、家へ帰つても原告甲野花子らが恐れをなして戻つて来ないので、腹を立てて金魚鉢を壊わして、翌日北全病院へ一人で戻つた。

(8)  原告甲野太郎は、北全病院入院中、薬を飲んだとか飲まないとか等といつた些細なことから他の患者と何回か喧嘩をし、殴つたりした。また、他の患者から、同原告が入墨を示して威圧的態度をとり、やくざのような因縁をつけた、という苦情が出されたことがあつた。

2  考察

(一)  <証拠>を総合すれば、次の事実が認められる。

精神医学概念としての精神病質は、医学上必ずしも統一された内容、意義をもつものではなく、またその概念の有用性につき幾多の批判が存するところ、一般的には、クルト・シユナイダー(K.Sch-neider)による「正常との量的差異が大という意味での異常な性格であつて、その異常性のため自ら又は社会が悩むもの」という定義による類型的概念が用いられ、これは、一定の治療を要する一定の疾病を意味する医学的な概念というよりは性格類型論的な認識概念ではあるが、自ら悩み又は社会が悩む面の改善の為の医学的治療を要する点で臨床面と結びつき、従つて問題はあるものの(殊に「社会が悩むこと」という概念規定はもはや医学的概念とは相容れないものであり、従つてこれに対する医療は成立し得ない筈である、とするもの)その医学的有用性は一般に認められているものであつて、精神医学の教科書的文献(例えば(秋元波留夫、井村恒郎、笠松章、三浦岱栄、島崎敏樹、田修治編、日本精神医学全書第三巻、昭和四一年一月二五日発行、四七頁以下)、(諏訪望著最新精神医学、昭和四六年一〇月一日発行、三一五頁以下)、(三浦岱栄、塩崎正勝著、現代精神医学、昭和三六年六月一五日発行、一七五頁以下)、(笠松章著臨床精神医学Ⅱ、昭和四六年六月二五日発行、七四七頁以下))には必ずその定義・分類、そしてその診断治療法が解説されているところであり、医療事務上も右概念に従つた精神病質の診断が広く行なわれている。

精神病質の診断は、行動の異常を契機に、その正常との差異が大きいことについての量的鑑別と、その行動の異常が他の精神疾患の結果生じたものではなく本人の性格の異常を主な原因として生じたことについての質的鑑別とにより診断することになり、その鑑別診断の中心は他の要因の可能性を除外してゆく作業にあるとされている。

そして、その鑑別診断の資料として重視されるのは現症(主訴)、生活史、問診結果所見及び心理性格テスト所見である。特に既応歴・生活史の調査により、現症との継続性が認めうるような同一症状が過去に存しないか、異常性格の発症機制は何か、を明らかにすることが重視され、これらの資料を得る方法として本人の面接・対話が基礎となるとされている。なおこの外、神経学的、精神生理学的検査(脳波・内分泌機能、自律神経機能、物質代謝の検査等)も参考資料とされる。

しかしながら、精神病質は右のよにして診断されるけれども、概念自体が評価的裁量的なものであり、かつ、決め手となるものに欠けており、かつ限界があいまいで医師の経験にもとづく直観に負うところが大きいのであつて、医師により診断結果にかなりの差が生ずることは避け得ないものであるとされている。従つて精神病質と診断するについては医師に慎重な態度が求められている。

そして、精神病質が右のように概念自体問題があるのであるが、前記のように現在に至るも精神医学上の文献の多くは、この概念を用いて解説し、議論しているのであつて、当時の医学水準からみれば、殊に臨床精神医一般においては精神病質につきこの概念を用いかつそこに何がしかの精神医学的な治療の必要性が是認されていたことは、明らかであり、他方これを精神医学的な治療の必要がないものとして見ていたものと言うことはできない。

(二)  そこで、原告甲野太郎の術前の症状に対する精神医学的評価につき検討するに、前示の如く爆発型精神病質の診断においては決め手となる問題行動の動機についてその解明を要し、これが得られなければ、決し難いのであるところ、原告甲野太郎については、そのカルテ類等についての記載内容からは同原告が精神病質であるかどうか決し難く、また<証拠>によれば右カルテの記載内容・体裁、等に一部に明らかな書きかえがあることが認められ、更には、<証拠>によれば昭和四八年七月に北全病院に対して行なわれた北海道知事の精神衛生法第三七条第一項による審査の結果、被告比田勝の診断により同病院に入院している患者一二三名中、三〇名が入院不要と判定され退院させられたことが認められ、また<証拠>によれば、北海道は同年八月、同病院に対する生活保護法に基づく立入検査の結果、診療録の記載不備、適応病名以外に薬を使用していること等が指摘されていることが認められることを考えると、同被告の前記診断については、疑問の余地が大といわねばならない。

しかしながら、精神病質は概念自体が前記認定のとおり評価的裁量的なもので、決め手に欠けるものであり、限界があいまいで、医師により、診断にかなりの差が生ずるものであること、<証拠>によれば右審査の際の北全病院の入院患者一二三名につき、実際に審査をした精神鑑定医の診断でも、入院の要否の判定はともかく、疾病の有無については、留保の三名を除き、精神科診療の対象となる病名が判定されていて、その病名は精神病質が一例あるほか、多くは慢性アルコール中毒症と判定されていることが認められ、また前示認定のとおり甲野太郎は約八か月前に他の医師から慢性アルコール中毒症との診断を受けて専門医にかかることを勧められていること、被告竹田本人尋問の結果によれば、精神科医としての経歴を有する被告竹田は、被告比田勝から前示の如く原告甲野太郎に対するロボトミー施行の依頼を受けたので同人が脳外科手術に耐えうるかの診察を主目的として北全病院へ赴いたとき、同原告の精神症状について、同原告の診療記録を検討し、被告比田勝から説明を受けたところ同原告についての被告比田勝の前記診断を納得できたことが夫々認められ、そして同原告には、右1認定の問題行動が存し、これと右2(一)認定の精神病質の定義とを対比して矛盾するものではないこと、等の事情も存するのであるから、前記のような精神病質概念を前提とする限り、疑問の余地を残しつつも、原告甲野太郎の術前の症状は、医学的に見ていわゆる爆発型精神病質・慢性アルコール中毒症と診断できるものと認めるのが相当である。

三ロボトミーについて

1  ロボトミーの概要と沿革

<証拠>によれば、以下の事実がそれぞれ認められ、右認定を左右するに足る証拠はない。

(一)  大脳特に前頭葉の一部に侵襲を加えて精神症状を改善しようとする方法は、ポルトガルリスボン大学神経学教授モニス(Egas Moniz)により一九三六年発表施行され、その後アメリカのフリーマン、ワツツ(Freeman W, Watts.J.W)らにより体系化され、各国に普及し、また、種々の術式が考察されるようになつた。それらを総称してロボトミー(Lobotomy)又は前頭葉白質切截術と呼ぶのが普通である。即ち、モニスは「精神障害(苦悩・病的思考)は大脳前頭葉内の神経細胞間に異常なシナプス的結合線維群を生じたため引き起こされるシナピスの混乱の結果である。従つて、神経線維の密集している前頭葉の半卵円中心部分において白質を破壊することにより、この異常なシナプスの回路を破壊し、もつて病的な精神症状を除去することができる。」と考えたと言われ、右仮説を根拠に一九三六年頑固な退行期うつ病の婦人に対し、両側前頭葉白質切截術(bilateral prefrontal leucotomy)を試み劇的な治療効果を見たとされた。そして、右モニスの術式の追試は、アメリカジヨージ・ワシントン大学神経学教授フリーマンと同大学神経外科助教授ワツツらによつて行われ、更にその改良法が発表されて、それが標準式ロボトミー(stan-dard lobotomy)として、精神医学上の治療手段として定着を見た。(標準式ロボトミーは、眼窩骨外縁の側方2.5〜3センチメートル、頗骨弓上方六センチメートルの点を穿骨部位とし、穿孔。脳室穿刺針を正中矢状面に垂直に穿刺して半球内面の軟膜までの深さを測る。次いでこれより一センチメートル短い距離までleucotomy或いはkillian鼻中隔剥離子を正中矢状面に垂直に挿入し、冠状縫合線の走向に沿つて上下に振子状に動かし、前頭葉白質の上半及び下半を切離するものである。)

なお、一九四八年にはモニスの右業績に対してノーベル医学賞が授与された。

しかし、Rylanderが一九四七年に標準式ロボトミーについて、強迫症状、過敏性、不安が除去された代りに、患者は非常に浅薄な態度をとるようになることを指摘し、治療効果より遙かに価値のある何物かが患者の心から奪い去られていると警告したことが契機となり、以来、米国においては強い批判が起こり、一方標準式ロボトミーは殆んど行われなくなつたが、他方、術後の好ましくない人格変化を避けるため、選択的に限局した小部分を切截する術式が研究、報告されているところである。

我国においては、一九四二年に中田瑞穂(新潟医大外科)によつて標準式ロボトミーの追試報告がなされ、第二次大戦後流行したが、前記米国における批判の提起につれて、かつ、また、ロボトミーは緊張型・妄想型・破瓜型分裂病に有効であり、爆発型精神病質に対し多少緩和の効果が認められるが反面、術後患者の行動は緩慢になり、その生活態度に人生に対する真撃、関心の消失を認め、無気力、怠情となるとする報告(越賀一雄「ロボトミーの経験とその批判」昭和二八年四月)、ロボトミーは視床や系統的線維束の二次変性のみでなく、更に広汎な脳変化を来たすものであり、術後期間が長くなればなる程、種々の条件が加わつて一層強い脳変化を来たすとする報告(水島節雄「ロボトミー後の脳変化」精神神経学雑誌、昭和三四年八月三〇日発行)等がなされたこともあり、次第に行われなくなりつつあり、ただ、なお例えば広瀬貞雄(日本医科大学)が orbito-ventromedial undercuttingを発表、実施し、それが標準式ロボトミー実施後に見られたような副作用や好ましくない人格変化を生じることなく効果を挙げ得る旨主張しているところである。これは、大脳の生理・病理・臨床経験から前頭葉眼窩脳と辺縁系の関連が情動の調整に密接な関係を有することを前提に、その辺縁系の機能(これが感情の源とされる。)に影響を与える部位として前頭葉眼窩脳内側領域に対し、細い吸引管を挿入して限局した白質(概ね1ないし1.5センチメートル×4ないし4.5センチメートルの範囲)を吸引除去する方法であつて、人格の基本的部分への影響(生理学的には皮質に集中している前頭葉の神経細胞の死滅)を避けて、対象の症状の除去に必要とされる部分のみ限定して最少限を破壊するものであると主張されている。その奏効のメカニズムも、眼窩脳と視床、側頭葉を結ぶ連絡路の部分的破壊によつて辺縁系の複合機能に影響を及ぼし、その結果、情動・行動の様式が変化、即ち、各人の生物学的反応形式の変化をもたらし、ために頑固に固着した病的な精神病状を消失・減弱させるものとされて、また、右のような術式によるロボトミー手術は、精神に対する整形手術であると評価できるとされている。

(二)(1)  ところで、標準式ロボトミーの奏効のメカニズムについては、ロボトミーにより前頭葉の機能が部分的に遮断された結果生ずる前頭葉脱落症状としての人格水準の低下と、もともとある精神障害との間の新たなる均衡状態が病像の改善をもたらすと把握することができる。

(2)  その術後の人格の変化として、右奏効機制に照らし明らかなように、前頭葉脱落症状としての人格水準の低下、即ち、人格の一部又は全部の破壊が必然のものとされる。

(3)  その治療効果は、経験的に言つて、有効、やや効果あり、無効が概ね各三分の一ずつとされていた。

(4)  その手術の死亡率は、当初三ないし四パーセントで以降低下傾向にあるとされていた。

(5)  その適応症については、幻覚・妄想・異常体験・衝動的興奮・暴行等についてであり、緊張型・妄想型分裂病、自殺の危険のあるうつ病、刺激性・攻撃性・爆発性の著しいてんかん症状、爆発型精神病質等に対する適応が認められていた。

(三)  右のような認識の下に、ロボトミー(標準式)は濫用気味に用いられ、しかも治療効果を得ようと前頭葉白質の切截量をふやし、脳の破壊を増す方向に走つたりした結果、治療効果を上げず、しかも術後の人格水準の低下、破壊だけを残し、はなはだしきに至つては死に至らしめるという悲惨な例が認識されだした。そして、次第にロボトミーは死亡率が高く、術後好しからざる人格変化を招来し、効果も不安定、不確実で無効例が多いという問題点が広く認識されるに至り、ロボトミーに対する医療技術的面からの外、宗教的・人道的・社会的各側面からの批判・反省が精神医学界の内外で高まり、また、昭和二七年以降の向精神薬の発達によりロボトミーに頼る必要性が大幅に減少したこともあつて、その実施例は著しく減少した。

2  本件手術当時のロボトミーについての状況

(一)  <証拠>によれば次の事実が認められる。

本件手術当時までに発行されていたロボトミーについての教科書的文献の内容は、概ね次のとおりである。

(1) ロボトミーについて、アメリカ、ソビエトにおける禁止立法を紹介し、今日では行なわれなくなりつつあるとしながらも、適応とされる精神症状として、幻覚・妄想・異常体験・衝動的興奮・暴行等をあげ、緊張型・妄想型分裂病、自殺のおそれがあるうつ病、刺激性・攻撃性・爆発性の著しいてんかん症例、その他爆発型等の精神病質に対して用いられると解説し、なお、適応症の選択に慎重を期すこと、最後の手段として用いること、後療法の重要性を強調しているもの(笠松章著臨床精神医学Ⅱ一一五二頁以下)、

(2) ロボトミーは、最近では殆んど行われていないとしながらも、適応症として、妄想型精神分裂病、妄想をもつ更年期うつ病、爆発的傾向をもつ精神病質、刺激性不機嫌な性格面が前景にたつてんかんをあげているもの(諏訪望著最新精神医学三四五頁以下)、

(3) ロボトミーは、患者の性格が感受性が強過ぎるために精神症状に対して過度の精神反応を示すようなもので、しかも他の身体療法が全く無効な場合に限り最後の手段として用いられてよい治療手段であり、従つて、適応症は、分裂病(幻覚・妄想等の異常体験が残存し、それゆえに衝動性の興奮・不安などの感情的緊張の激しいもの)、精神病質(衝動性の強い爆発的な性格で反社会性の強いもの)、てんかん・脳炎後の性格変化(攻撃的で反社会性の強いもの)とするもの(三浦岱栄・塩崎正勝共著、保崎秀夫改訂現代精神医学三五二頁以下)、

(4) 標準型ロボトミーの変性であるorbito-ventromedial undercuttingを前提に、ロボトミーは過度に敏感な状態のために身体的・精神的の刺激に対して激しい精神反応を示すような一群の患者に対して、従来の治療が奏効しない場合に適用すべく、精神病質については、てんかん病質的傾向をもつた爆発性を主徴とするもの、自己顕示性の強いヒステリー性格のため周囲との協調を欠くもの、些細な刺激に対して心身の異常反応を起こし易いものなどに対して効果が確認されたが、本来の性格構造において感情的反響が乏しく、冷淡、怠情、道義心に乏しいものには効果なく、好ましくない性格傾向が却つて増強するおそれがある。また、アルコール中毒については一般に適応症としては好ましくないとするもの(広瀬貞雄著日本精神医学全書第五巻三七七頁以下)、

(5) ロボトミーは、多少精神疾患の症状の改善を見ることはあるが、反面、好ましからざる人格変化を伴うこともあり、次第にすたれ、現在はおそらくselective cortical undercuttingが余命を保つている程度であり、ただし、精神疾患のみならず、悪性腫瘍末期の患者の苦痛を救う目的でロボトミーやcortical undercuttingが行われることは一般に妥当と認められているとするもの(木本誠二監修、佐野圭司執筆担当現代外科学大系二一五頁以下)等がある。

以下要するに、当時の教科書的文献においては、ロボトミーについては積極・消極の態度の差はあれ、概ねその問題性を指摘し、最後の手段として用いるべきこと、適応症の選択に慎重を期すべきこと、後療法の重要性を強調しつつも、精神医学上の医療行為として許される治療手段であることを前提に、適応症、術式、その他注意事項を記術していたものといえる。

(二)  本件手術当時及びその前後におけるロボトミーをめぐる精神医学界の状況並びに公権的規制について

<証拠>を総合すると次の事実が認められる。

(1) ロボトミーは、昭和四〇年代に入つてからは殆んど行われなくなつていたが、昭和四七年頃、刑法改正問題、特に保安処分の導入問題を契機に、ロボトミーが医療の名の下に治安目的に濫用される危惧が抱かれ、以前から前記認定のとおりの医療上の問題点のあつたロボトミーをこの際精神医学の治療手段から追放し、これを否定しようという動きが精神医学者の一部に強まつた。その論ずるところは次のようなものであつた。即ち、「ロボトミーの本質は、精神症状の消褪のため精神活動をつかさどる大脳前頭葉の破壊による人格水準の低下を功利的に利用しているもので、即ち、精神活動の歪みを矯正するのが治療であるべきところ、その歪みの治療と称して精神活動自体を停止させて、その歪みが発生しないとするものであつて、これは治療行為とはいえないものであり、また、ロボトミーは、実際は精神病に対して為されるよりも、いわゆる反社会的傾向、特に暴力をもつて反抗する者や犯罪者から、その反抗心、粗暴性を除去するために精神病質概念を媒介に医療の名の下に、治安・管理の手段として為されることがしばしばであつた。このようなロボトミーは医療行為とは認められないのはもちろん、人道上許せないものであるうえ、保安処分として用いられる危険もあり、それゆえに、あらゆる精神外科はすみやかに医療行為から追放されるべきである。」

右のような運動の結果、日本精神神経学会は、昭和五〇年五月一三日、精神外科を否定する決議をなすに至つた。その決議の内容は、「精神外科とは人脳に不可逆的な侵襲を加えることを通じて人間の精神機能を変化させることをめざす行為である。かかる行為は医療としてなさるべきではない。」というものであつた。

(2) ソビエト連邦においては、ロボトミーについて保健省大臣は一九五〇年(昭和二五年)、「精神神経疾患にprefrontal leucotomyを用いることを禁止する。ロボトミーは精神神経疾患に対し、他の療法以上の治療上の利益をもたらさないばかりか、かえつて更なる治療を不可能にするような器質的変化をもたらすこと。そして、ロボトミーはパブロフ学説の基礎的・生理学的原理と両立しないものであつて、なんらの理論的基礎をもつていないものである。」旨指示したといわれるが、昭和四七年頃から化学物質を用いた定位脳手術による精神外科が再開されているといわれる。

(3) アメリカにおいては、ロボトミーは、かつては医師の裁量で自由に為されていたが、多くの人権侵害問題が生じたため、精神外科に対する規制の声が高まり、一九六九年(昭和四四年)七月一日、カリフオルニア州においては「強制入院患者に精神外科及び電撃シヨツク療法に対する拒否権(ただし、一定の場合この拒否権は否認される。)」を認める法律が定められ、一九七三年(昭和四八年)六月一八日オレゴン州においては「人間の思想・情動・行動を変化させることを主な目的として、脳組織に不可逆的な損傷或いは破壊を与える手術並びに脳組織の特定部分に電極を外科的に植えこむ手術については、これを行おうとする医師は州の精神外科調査委員会の許可を受けねばならない。」旨の規制が為され、同年九月一一日、アメリカ連邦議会において「精神外科と人体実験の基準作成の委員における規準が制定されるまでは、政府資金の関与する限り、これらを全面的に禁ずる。」旨の立法が為されたといわれる。

(4) 我国では、ロボトミーに関し、法律上の明文の規制は存しないが、精神科の治療指針(各都道府県知事宛厚生省保険局長通知・昭和三六年一〇月二七日保発第七三号)は、「ロボトミーは、これを実際に行うに当つては適応症の選択に特に慎重でなければならない。手術のし放しになるようなことは極力避けなければならない。また、現在の特殊療法を十分行つても、なおかつ所期の効果を得られない場合においてのみ最後の手段として考えられるべきものである。」としたうえで、対象疾患としての精神病質については、てんかん病質的傾向を有し、爆発性、気分易変性を主徴とするもので、そのため反社会的傾向の強い例が対象となるとしているところである。

3  本件手術当時のロボトミーについての医学水準

(一) ロボトミー(標準式)は、本件手術当時の医学水準によれば、大脳前頭葉――それは人間らしい精神活動の生理的基礎である――に対し、不可逆的侵襲を加えて破壊することを内容とし、それゆえに必然的に前頭葉脱落症状としての人格水準の低下を伴い、しかも大脳の複雑な構造・機能についての生理学的解明が為されていないまま前記モニス流の仮説の下に経験に頼つて行われる手術であつて、治療効果が得られる割合は症状の厳選をしなければ、概ね約三分の一の場合であるとされており、また、一方この手術は、てんかん・ある種の分裂病に対し、特に興奮・緊張・攻撃と呼ばれる症状の除去・軽減に効果があり、また、爆発型精神病質の突発的・常習的暴行を、ともかく除去・軽減するのに有効であり、しかもその効果は、向精神薬等他の療法が無効又は症状の一時的抑圧効果にすぎない場合でも、ロボトミーでは、その症状を根本的に除去・軽減する効果があつて、他の療法には替え難い効能のある手段として評価されており、また、退行期うつ病、分裂病のあるもの等適応症を厳選すればこれに対し、対症的効果ではない根治の効果をも得られるとされていたということができる。そして、これらの医学知識では、必ずしも理論的に裏付けられたものとは言えないが、経験の蓄積の中で本件手術当時、前記のように概ね批判的ながらも教科書的文献に記載されており、厚生省保険局長通知上もこれを認めたうえで治療方針の中に精神外科をとりあげており、学界の中にも積極論もいて、奏効例(もつともその評価に観測者の主観の入る余地があることは否定できないが)の報告もあり、これらの事情の下では問題はあるものの、将来はともかく、当時の医学水準においては、ロボトミーが精神医学上医療行為として後記のような制約の下に許容されていたというべきである。

(二) 右のような状況の下でのロボトミーの医療技術としての問題性は、それが脳に対し外科的侵襲を与え、技術者の思想・行動・感情に決定的影響を及ぼすというロボトミーの特殊な性格と、それにより被術者が回復不能の脳の損傷を受けて、意欲・情動面を中心に精神的諸機能が著しく低下するという量的・質的に余りにも大きな被術者の蒙る犠牲とにあると考えられる。

そして、右のような問題性ゆえに、本件手術当時、ロボトミーは、手術の必要性の有無、手術によつてもたらされる不利益(治療効果)との対照等具体的事例におけるその必要性相当性等は検討する余地なく、手術自体がそもそも精神医学上の治療手段としては一律に許されないという議論も有力であつたことは前示のとおりである。そして、前記のとおり、日本では、昭和四〇年代に入つてからは殆んどロボトミー手術は実施されなくなつており、かつ、ソビエト、アメリカでロボトミーを規制する法令が出され、日本でも後に精神神経学会で禁止決議が為されるに至つたのであるが、右内容を検討すると、ソビエトの場合は、禁止理由は、ロボトミーが理論的裏付けがなく、かつ、精神病に対する治療効果も殆んどなく、しかもマイナスが大きいということであつて医療技術としての水準に達していないという技術的理由であり、アメリカの場合は、主にロボトミーが患者の思想・行動・感情の自由に対する外部的なコントロールという面を有する点に対する人権の観点からの規制であつて、精神病に対する治療手段としては必ずしも排除してはいないし、日本の右学会の禁止決議は、主としてロボトミーが治療の名の下に保安処分に導入されることへの危惧を表明しているようにみられ、必ずしも医療技術的、医療哲学的面からの検討の結果とも思われない。

(三) また、本件手術当時、精神医学界において、ロボトミーの他に替え難い治療効果を評価し、被術者の犠牲(術後の人格水準の低下)については、これを防止するため手術による破壊部位・量を極小化する方向で術式改良をし、かつ、適応症を厳選して治療効果の確実を期し、そのような技術的向上を背景にロボトミー手術に積極的立場をとるものもいたことは前示のとおりである。そして、そこでは従来の脳を破壊して症状を除去するという除去の発想のほかに、脳の限局された一部の破壊を契機に脳の他の部分により人格の再構成を図るという発想もみられたが、これについては病理学的・生理学的な裏付けは為されていなかつたと思われる。しかしながら、右改良術式は、なるほど脳の直接的破壊の量が小さくなつたので、それだけ術後の好ましからざる人格変化の現われ方も小さいと推測するに難くはないが、前記のとおり証拠上は標準式での効果(特に精神病質に対するもの)がすべて改良術式でも可能であるとは認められず、従つて、標準式が改良術式にとつてかわられていたとまで言うことはできない状態であつたといわざるを得ない。

(四) そして、右のような様々な立場からするロボトミーについての議論について、医学的・技術的にロボトミーの適否を決するということではなく、その最大公約数的なところをまとめたものが前記厚生省保険局長通達による精神科の治療方針中の精神外科についての記載であると言うことができ、本件手術当時の教科書的文献も殆んどその線に従つて、その問題性を指摘のうえ、適応症をあげ、更にそのあとでロボトミーの最終手術性、適応選択に慎重たること、後療法が重要であること(術式間の適応・効果の異同については殆んど触れられていない。)を強調するというように解説されているところである。

(五) そうして見れば、これをもつてロボトミーについての本件手術当時の医学的水準と考えるのが相当である。

従つて、少くとも当時の医学水準によれば、ロボトミーの問題性は意識されていたが、それはロボトミーに適応性の選択に慎重を期し、かつ、他の療法を十分試みたうえで最後の手段として用いることという制約が存し、この制約の下ではロボトミーが許容されており、かつ、その適応症として爆発型精神病質中、特に反社会性の強いものが認められていたと考えられ、これを前提とする限りは、最後の手段という右制約下でロボトミーの精神医学上の治療手段としての一般的許容性がなお認められていたと解するのが相当である。

四本件手術の適否及び被告らの責任

1  被告らの治療意思

医療の必要な状態の者の医療を委ねられた医師がその診断病名又は症状に対し一般的に適応とされる治療手段を施した場合特段の反証のない限りは、その医師が治療の意思で、その治療手段を施したものと推定してよいと考えられるところ、本件の場合前記のように、被告らは医師であり、その患者であつた原告甲野太郎は一応爆発型精神病質・慢性アルコール中毒症という治療必要な状況にあつて、被告比田勝が右診断のもとに、これに適応とされている本件手術を施すことを決意して、その実施を被告竹田に依頼したのであるから、被告比田勝には本件手術につき治療意思があつたと推認するのが相当である。

<証拠>によれば被告比田勝は昭和四八年一月北全病院を開設したものであり、本件手術当時は右開設後間がなく患者も少なかつたこと、右開設当初少なくとも三億円の借金をかかえていたこと、被告比田勝は同年七月、北海道知事による精神衛生法第三七条による審査の結果、入院患者一二三名中三〇名が入院不要と判定され、また、同年八月診療報酬過大請求事件を起こし、北海道民生部の立入検査を受けてその事実が確認され、その際、カルテ記載の不備と、過剰の薬物投与の指摘も受けたことが認められ、右事実から被告比田勝の営利的姿勢を窺わせる事情は存するが、これを以て被告比田勝が、原告甲野太郎に対しロボトミー不必要と知りつつ図利又は報復目的でこれを決意し、被告竹田をして実施させたとまで認めるに足る事情とはいえない。

よつて被告比田勝は、本件手術につき治療意思があつたというべきであり、まして被告竹田においては、右推定を覆すに足る事情は全く存しないから、本件手術につき治療意思があつたというべきである。

従つて、被告らが図利・報復目的で治療意思なく本件手術を施行したから本件手術は故意による違法行為(傷害)とする原告らの主張はその証拠はなく失当である。

2  本件手術の治療行為性

前記三において検討したとおり、本件手術当時の医学水準においてはロボトミーは一定の制約の下に、標準式のものも含めて、精神医学上、治療手段として用いることは許されていたということができるものであつて、医学上これを否定するのが一般であつたとまで言うことはできないのであるから、ロボトミー自体傷害としての不法行為の違法性を阻却し得ないものというわけではない。

よつて本件手術の外形的な治療行為性は認められ、ロボトミー自体一律に精神医学上の治療手段として用いることが許されないものであつたことを前提として本件手術の違法を主張する原告らの主張は未だ理由がなく失当である。

3 本件手術の相当性

(一)  慢性アルコール中毒症の影響も加わつた爆発型精神病質につき、精神医学上治療の対象とすべきなのか、また、ロボトミーがその治療手段として用いることが許されるのかの点については、前記二及び三で検討したとおり、当時の医学水準によれば、精神病質が治療対象として認められており、かつ、ロボトミーについても、「他の療法を十分試みてもその効果がない場合」で、かつ、適応症選択に特に慎重たるべきことという制約付きで、これを治療手段として用いることが許されていたと解されるから、これを前提にして本件の場合の本件手術の適否を検討する。

(二)  被告比田勝が原告甲野太郎に対して、同原告北全病院に入院した昭和四八年二月一四日から、本件手術実施を決意した同年四月一〇日頃までの間に試みた治療法とその効果については、<証拠>によれば、同被告が同原告に施した治療手段は、入院期間中を通じての強い向精神薬であるレボトミン、コントミンの通常量の投与、同年三月中旬頃以降のかなりの頻度にわたる電気シヨツク療法であり、同被告は同原告とは入院時より対話が不可能と考えて他の療法の試みはなされていなかつたことが認められる。

また、<証拠>によれば、精神医学上爆発型精神病質に対しては一般に治療は困難とされているが、医師と患者の対話・コミユニケーシヨンを基礎に精神療法、作業療法を根気よく続けることが肝要で、その補助的手段として投薬、電気シヨツク療法が考えうるところなのであつて、その治療効果の有無を判断するには、年単位の期間を要するものとされていることが認められる。

(三) してみると、被告比田勝が、右のとおり原告甲野太郎に対し僅か二か月間の薬物療法と何回かの電気シヨツク療法を試みただけで、同原告との対話もできないままもはや最後の手段であるロボトミーしかないと判断したのは、精神病質が前記のとおり異常性格として持続性のあるもので、短期間では余り変化しないものであり、本件手術は緊急性のあるものではないことを考えれば、精神科医として余りにも軽率、性急であり、かつ、精神病質の療法の中心となるべき患者との対話、コミユニケーシヨンを基礎とする精神療法・作業療法をを全く顧慮していなかつたのであるから、同被告が本件手術を決定する前に、他の療法を十分試みていないこと、その効果がなかつたことを確認もしていないことは明らかであるといえる。

そして、ロボトミーを用いるにつき付せられた、前記「他の療法を十分試みるも所期の治療効果を得られない場合」という制約は、ロボトミーの脳に対する不可逆的侵襲性等の前記の問題性に由来するロボトミーが許容される為の要件であるといわなければならない。

従つて、右要件に反してロボトミーを施した場合は、それだけで、医師の側において、当該患者に対しては他の療法を十分尽しても治療効果は得られず、結局はロボトミー以外になかつたといえることを立証しない限りは、その手術は医師の側の裁量の限界を越えたもので、違法な治療行為というべきである。

本件においては、他の療法を十分施しても治療効果がないことについては単に精神病質が治療が困難であること以外の事情は存せず、かえつて、原告甲野太郎の状況は前記のとおり、精神病質といえばいえるという程度の症状であつて、その暴行も犯罪として前科前歴までになつてはおらず、妻の原告甲野花子が原告甲野太郎の暴行におびえるようになつたのは、同原告が体をこわして家に居がちになつた一、二年のことであり、この程度の症状に対し前記のように被術者に回復不能の大きな犠牲を払わせるロボトミーを行なうことは、前記のように、ロボトミーの適応性の選択には慎重であることが求められていることからみても多大な疑問があること等の事情が存するのであつて、右要件が明らかになつたとはいえない。

よつて、本件手術は、原告佐藤直人の前記症状に対する治療手段の採用につき医師としての裁量の範囲を逸脱したものとして違法たることを免れないものであり、被告らは医師として、右事情の下ではロボトミーを同原告に対し為すべきではないのにロボトミーを用いるにつき定められた前記制約に反して漫然と本件手術を施行した点に過失があつたというべきである。

(四) なお、被告竹田はこの点につき「ロボトミーは精神科医と脳外科医の専門医師間の高度の信頼関係にもとづく協力関係において行なわれるものであり、このような信頼関係がある場合には、脳外科医としては精神科医の専門的判断を尊重して自らの役割を果たせばよいのであつて、その専門的判断と同じ作業をしたうえで自ら判断することまでは求められておらず、従つて、精神科医である被告比田勝の専門医としての原告軍野太郎の症状診断及びロボトミーが治療手段として相当であるという判断を尊重し、これを確認のうえ、本件手術をしたことに何ら過失はない。」旨主張する。

なるほど、専門医間の協力関係においては一般的抽象的には互いにその診療行為につき信頼を寄せ、これに基づき行動することが必要であるけれども、他の専門医の具体的診療経過につき明らかに相当性を欠いている場合には、自己の診療行為の追行につき更に自らその適否を確認すべき注意義務を負担するものといわなければならない。そこで本件において原告甲野太郎の精神症状の把握と診断、及びこれに基づくロボトミーの判断につき、脳外科医たる被告竹田は精神科医たる被告比田勝の判断につき一般的には信頼を寄せたものとしても、被告比田勝の右判断過程は前示のとおりであり、これは被告竹田においても、被告比田勝からの説明を受けて確認したところであるが、そうして見れば被告比田勝において原告甲野太郎につきロボトミー適応と決意した具体的判断過程においては、被告比田勝がロボトミーに課せられている最後の手段という面をふまえて、十分他の療法を尽して治療の手順を踏んでいなかつたというべきことは、被告竹田においても容易に認識し得たものといわなければならない。しかるに被告竹田は被告比田勝から原告甲野太郎につきロボトミー相当だとしてその施行の依頼を受けた際、右診断過程の不備につき慎重な考慮を廻らさず、漫然ロボトミー実施を引受けたことはロボトミーの侵襲の重大性、これをめぐる精神医学界における深刻な議論を考えるとき、余りに安易であつて、同被告においてその注意義務を怠つた過失責任は免れない。

4  患者の承諾

(一) 次に医師が患者の身体に対し手術を行う場合には、それが適法たるためには、原則として患者の治療及び入院の申込とは別の当該手術の実施についての患者自身の承諾を得ることを要するものと解すべく、承諾を得ないでなされた手術は、患者の身体に対する違法な侵害となるものといわなければならない。蓋し患者は自己の身体に対する侵襲を含む治療を受けるか否かを決定する権利を保留しているものというべきだからである。従つて医師はその手術につき患者が承諾するかどうかを確認すべきである。尤も患者の生命の危険、又は身体若くは健康を著しく害する危険に陥る緊急の虞のあるとき、承諾のための事情を説明することにより、それが患者の精神的な重い負担となり、そのため結果が甚だ悪くなることが予測されるとき等の場合には、承諾がなくても認めうる余地がある。そしてかかる承諾は患者本人において自己の状態、当該医療行為の意義・内容、及びそれに伴う危険性の程度につき認識し得る程度の能力を具えている状況にないときは格別、かかる程度の能力を有する以上、本人の承諾を要するものと解するのが相当である。従つて精神障害者或いは未成年者であつても、右能力を有する以上、その本人の承諾を要するものといわなければならない。とりわけロボトミーのように手術がその適応性ないしは必要性において医学上の見解が分れており、また、重大な副作用を伴うべきものである場合には手術を受けるか否かについての患者の意志が一層尊重されなければならない。また、ロボトミーについては、その性格上、精神衛生法第三三条による入院の同意手続を経ていてもこれで足りるものではなく、その手術につき個別的に患者の承諾を要するものというのが相当である。

(二) 被告比田勝においてもまた、被告竹田においても本件手術施行につき、原告甲野太郎自身の承諾を得る手続をとらず、しかしてその承諾を得なかつたことは、当事者間に争いがない。

<証拠>によれば、医学上、精神病質は判断能力を有しているとされ、また、原告甲野太郎は前記北全病院入院中にも、被告比田勝や、ロボトミー施行前に応診に来た被告竹田に対し脳を切られることに対し拒否的言動をし、かつ、本件第一回目のロボトミーの直前に札幌市立病院にて「脳を切ると承知しないぞ。」との旨看護婦らに発言していたことが認められ、これらの事実及び前示のような原告甲野太郎の症状に照らせば原告甲野太郎は行為能力は勿論本件手術につき承諾能力、判断能力を有していたものと認めるのが相当であり、かつ、本件手術の施行を拒否する意思を抱いていたことが明らかであるといえる。してみると、本件手術は患者である原告甲野太郎の承諾なしに行われたものであり、また、原告甲野太郎の前示症状、精神状態からすれば、原告甲野太郎には生命の危険の緊急事態に在つたものということはできず、また、原告甲野太郎に対し、承諾のための事情の説明が不可能であるとかこれをなすことにより却つて事態を悪化させることが予測されるものということはできないものというのが相当であるから、違法たるを免れることはできないものというべきである。

<証拠>によれば、被告比田勝は、原告甲野太郎は本件手術につき承諾能力がないものと考え、かつ原告甲野花子からの承諾を得たのでこれで十分と考えていたこと、及び被告竹田は本件手術の承諾については被告比田勝において妻の承諾をとる等のすべてこれを了していたとの被告比田勝の話を信じて特段原告甲野太郎本人の承諾を得る手続をとらなかつたことが認められるところ、原告甲野太郎本人の承諾を要しないものと軽信した点において医師としての注意義務を怠つたものといわなければならない。

(三) 結局、本件手術は患者である原告甲野太郎の承諾を得ていないものとして違法であり、被告らがこの原告甲野太郎の承諾を得る手続をふまず、原告甲野太郎の妻らの承諾で足りるもの或いは、入院の同意で足りると考え漫然と本件手術を行なつたのであるから不法行為上の責任を免れない。

5 以上のとおりであるから、本件手術の適否、被告らの責任についてのその余の事項の検討をするまでもなく、本件手術は、患者本人たる原告甲野太郎の同意なくして行なわれ、かつ、ロボトミーの最終手術性の制約に反して行なわれたもので、この二点において違法であつて、本件ロボトミーの結果、原告甲野太郎において爆発的行動の消失という一面の利益を得たものの、他面生じた本件後遺症の結果につき被告らにおいて不法行為責任は免れず、これにより原告らが蒙つた後記損害を賠償すべき義務があるといわなければならない。

五原告らの損害額

1  原告甲野太郎

原告甲野太郎は前示のとおり、本件手術による後遺症のため、精神的な活動能力・意欲が失なわれ、人格水準が低下し、怠惰で無気力・無抑制で浅薄な人格となつていたものであつて、到底社会生活に耐えられず、常に誰かが見守つて保護を与えねばならないような状況にあることが明らかである。

(1)  慰藉料

同原告の右のような精神的諸機能・意欲・感情を損なわれたことによる慰藉料としては、金一二〇〇万円が相当と考えられる。

(2)  逸失利益

原告の右状況は、これにより将来にわたつてその稼働能力の全部を喪失したものと見るのが相当である。

そこで、原告の本件手術前の稼働能力を検討するに、<証拠>を総合すれば、前認定のとおり原告甲野太郎は昭和一九年二月一〇日生れで、夕張工業学校中退後、雑役夫、バーテン、鉄筋工業所運転手、鉄筋工等として稼働してきたものであるが、その間、収入僅少のため、昭和四一年三月から同年七月まで、次いで負傷による稼働不能のため昭和四二年八月二日から同年一〇月一日まで、及び同月一八日から昭和四四年五月三一日まで、それぞれ生活保護法による扶助を受けていたが、更に昭和四六年一一月頃以降飲酒による肝臓障害を起こして休みがちとなり遂に昭和四七年八月末頃からは稼働不能のため三たび生活保護法による扶助を受けるに至つていたものであることが認められるが、その稼働期間中の収入額については必ずしも明らかではない。

右事実及び前記二1で認定した本件手術前の同原告の状況に照らせば、同原告は本件手術前においても、鉄筋工として平均以下の稼働能力を有していたに過ぎず、その主要な理由は飲酒による身心の疾患特にアルコール中毒症及び肝臓障害にあつたことが明らかであるが、ただ身体的疾患の方が軽減されれば、幾分か稼働は可能であつたと考えられるので、このような事情を考慮すると今後の稼働期間を平均してその稼働能力は全男子労働者平均の四割と認め、稼働期間も本件手術後六〇歳までの三一年間とみるのが相当と考えられる。してみると、同原告の右稼働能力喪失による逸失利益は、昭和五一年度賃金センサスによる全男子労働者平均賃金(但しサービス業を除く)年額金二三七万一、七〇〇円の四割に、三一年間の中間利息(年五分)を控除したライプニツツ係数15.5928105を乗じた額である金一四七九万二、五八七円と算定される。

(3)  介護料等

同原告の右状況は昭和四八年六月以降生涯にわたつて介護を必要とし、また、相当長期間の入院を要する状況と認めることができる。

そして同原告が本件後遺症の為に要する右介護料等としては、月額金三万円を昭和四八年六月以後平均余命である四三年間要する範囲において、本件手術との相当因果関係ある損害と認めるのが相当であつて、その額は年額金三六万円に四三年間の中間利息(年五分)を控除したライプニツツ係数17.54591198を乗じた額である金六三一万六、五二八円と算定される。

よつて同原告は本件手術により、右(1)ないし(3)の計金三三一〇万九、一一五円と、後記4認定の弁護士費用金四九六万円の合計金三八〇六万九、一一五円の損害を蒙つたと認めることができる。

2  原告甲野花子

原告甲野花子は前記認定によれば原告甲野太郎の妻(昭和三九年一二月婚姻)であるところ、原告甲野太郎の前記後遺症の存在のため以後円満な家庭生活を期待しなくなり精神的打撃を受けたことは容易に推認されるところである。しかし他方<証拠>を総合すれば、原告甲野花子は一旦、原告甲野太郎との離婚を決意し、また、本件ロボトミーについても、これに同意を与えていたことが認められるが、更に同証拠によれば原告甲野花子は、原告甲野太郎の本件手術前の医学的知識を欠いていて結果の重大性に思い及ばなかつた面もあることも認められるところであり、右のような諸事情を考慮すると、原告甲野花子の慰藉料としては、金一〇〇万円が相当であると考えられる。

よつて原告甲野花子は本件手術により右慰藉料と後記4認定の弁護士費用との合計金一一五万円の損害を蒙つたものと認められる。

3  原告甲野一郎・同甲野咲子

原告甲野一郎、同甲野咲子は前記のとおり原告甲野太郎の子供であるところ、術前の原告甲野太郎の状態は父親として必ずしも好ましいものではなかつたといえるが、この状態と対比してもなお、本件手術によつて、人格変化を受けた父親しか得られなくなつたことは、右原告らにとつて大きな精神的損害といわざるを得ない。

右諸般の事情を考慮すると、原告甲野一郎、同甲野咲子に対する慰藉料としては、各金一〇〇〇万円が相当であると認められる。

よつて原告甲野一郎、同甲野咲子はそれぞれ本件手術により右慰藉料と後記4認定の弁護士費用との合計金一一五万円の損害を各蒙つた。

4  弁護士費用

原告らが本件訴訟を弁護士である原告ら訴訟代理人に委任したことは、本件弁論の全趣旨上明らかであるが、その費用として、本件不法行為との間の相当因果関係を有するものとして賠償すべき損害は、本件事案は複雑かつ困難な種類のものといえること、審理の経過、その他諸般の事情に照らせば右各認容損害額の一割五分相当(但し一万円以下切り捨て)即ち、原告甲野太郎につき金四九六万円、原告甲野花子、同甲野一郎、同甲野咲子につき各金一五万円と認めるのが相当である。

六結論

以上の次第であつて、原告の本訴請求は被告ら各自に対し、原告甲野太郎において金三八〇六万九、一一五円、同甲野花子、同甲野一郎、同甲野咲子において各金一一五万円、とこれらに対するいずれも本件不法行為完了日である昭和四八年六月五日から支払済まで民法所定の年五分の割合による各遅延損害金の支払を求める限度で理由があるからそれぞれこれを認容し、原告甲野太郎、同甲野花子のその余の請求は理由がないからそれぞれ棄却し、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第八九条、第九二条本文、第九三条第一項本文を、仮執行宣言につき同法第一九六条第一項をそれぞれ適用して、主文のとおり判決する。

(磯部喬 田中由子 千徳輝夫)

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